あまい誘惑

アーシェの悟り

 

最上階へ昇る長い長い階段を進み、行き止まりにあった転移装置に触れると一行は、天陽の界域に転送された。

一行の目の前に天陽の繭が現れた。

天陽の繭は、文字通り昆虫の繭のように、糸状のものにくるまれている。

これが繭に施された封印で、オキューリアと契約した者が己の契約の証として授かった剣を振りかざして、はじめて

解除可能だった。

今こそ、その封印を解く・・・・

アーシェは息をのみ、左手に覇王の剣、右手に契約の剣を持って繭の前に進み出た。

「・・・レイスウォール王はこの剣で繭を刻み・・・・力を手に入れた」

「だけど、お前は、その剣で繭を壊す・・・・」

アーシェの言葉に続き、心配そうな表情にヴァンがそう言った。

ヴァンは、確かめたかったのだ。

アーシェが、復讐ではなく、破魔石のない世界を望んでいる事を。

そして、念を押すように、続けた。

「・・・・そうだろ?」

アーシェは、ヴァンを振り返りもせず、穏やかな口調で答えた。

「『お前』は、やめてよ」

そう言って、アーシェは繭が契約の剣に反応しているのを体に感じた。

覚悟を決め、剣を大きく振りかざし・・・・繭の封印を解いた。

封印を解かれた途端、灯台周辺にミストが立ちこめ、渦巻いた。

その、異常なミストの中から、一行の目の前にアーシェの亡き夫ラスラが姿を現した。

バッシュは、我が目を疑った。

でも、目の前にいるのは確かに・・・

「ラスラ様・・・」

バッシュの言葉は、もうアーシェには聞こえていなかった。

彼女は、目の前の夫に向かい悲鳴のような声で問うた。

「・・・・破魔石で、帝国を滅ぼすの?」

アーシェに向かってラスラはやさしく頷いた。 しかし、アーシェの声は、悲しく響いた。

「破壊が、あなたの願いなの?私の義務は、復讐なの? 私は・・・・」

アーシェの言葉を遮るように後ろから別の声が聞こえて来た。

「なぜためらう?手を伸ばすがいい。お前に与えられた、復讐の刃だ。 その刃で父の仇を討て!」

アーシェは振り返った。 そこにガブラスが立っていた。 アーシェが硬直する。

「そうだ。バッシュに化けてダルマスカ王を殺したのは俺だ。 父を殺したこの俺に、復讐せずにいられるか?!」

「貴様が・・・」

アーシェの言葉が発せられたと同時に、ヴァンが剣を握って歩み寄って来た。

「兄さんを!」

「王を殺し、国を殺した相手が今、お前の前にいる!」

アーシェはあまりの怒りに、左手に持っていた覇王の剣を取り落とし、憎しみに満ちた瞳で契約の剣を両手に握り直

してガブラスににじり寄った。

満足そうな表情のガブラスは、なおもアーシェの憎しみを煽るように

「・・・そうだ、それでいい。憎みぬけ!武器をとれ! 戦って死者たちの恨みを晴らせ!」

ヴァンも、今こそ兄レックスの仇を取ろうと剣を振り下ろしていた。

その剣をレダスが止めた。

ヴァンはレダスを見つめた。

「・・・・1人のジャッジマスターがいた。 その男はナブラディアから奪った夜光の破片をわけもわからずに発動

し・・・・ ナブディスを吹っ飛ばした。破魔石の威力を知りたがったシドが命じた実験だ」

レダスの言葉に、バルフレアが、敏感に反応した。

「・・・あの、危険な力を封じると誓った2年前、ジャッジの鎧とともに捨てた名前は・・・」

レダスの顔を改めて見つめ、ガブラスは剣を構え直した。

「ジャッジ・ゼクト」

「久しぶりだな。ガブラス」

そうしてレダスはアーシェに聞こえるように、声を張り上げた。

「手を伸ばせ、アーシェ王女。 だがな、掴むべきは、復讐や絶望を超えたその先にあるものだ」

それからレダスはガブラスに向き直った。

「俺やお前のような、縛られた人間には手の届かぬものだ」

アーシェはハッとした。

レダスはこう言いたかった。

自分やガブラスは「過去の幻影に縛られた人間」だと理解している。 レダスはナブディスを壊滅させた罪に、ガブ

ラスは祖国を守れなかった悔恨に、 それぞれとらわれ前進できずにいる、と。

だがレダスは、アーシェは自分たちと違うといい、彼女の切り開く未来に希望を託したかった。

しかしガブラスは、レダスの言葉をあしらった。

「どれほどあがこうが、人は過去から逃れられん!」

そう言ってガブラスはアーシェに言った。

「さぁ、過去に誓った復讐をとげるがいい!それが死者たちの願いだ!」

立ち尽くすアーシェに、ラスラの幻はガブラスに復讐するように、と手を広げた。

アーシェは、生きていた頃のラスラを、 そして、フォーンでバルフレアに言われた事を思いだしていた。

自分の知っているラスラは、ラスラは・・・・

「ラスラ・・・・。私、あなたを信じてる。

あなたは・・・・

あなたは、そんな人じゃなかった!!」

そうしてラスラの幻影を契約の剣で斬り裂いた。

アーシェは、フォーンでのやさしい潮風を思いだしていた。

隣にはバルフレアがいて、ラスラはもう、思い出の中にしかいなかった。

「・・・あの人は、もう、いないんだ」

「・・・アーシェ・バナルガン・ダルマスカ! 我らの破魔石で正しき歴史を導く聖女に!」

ミストの中に消え入りそうなラスラの幻影が初めてアーシェに話しかけた。

アーシェには、その声が、ラスラではなく、ゲルン王の声に聞こえた。

アーシェは、キッとしてラスラの幻をもう一度斬り裂いた。

「私は、聖女なんかじゃない!!」

「・・・・アーシェ」

ヴァンがアーシェに歩み寄った。

かつて、契約の剣を授かった者がオキューリアにそむき天陽の繭を砕く事態は 一度も起こってい

ない。 このことは契約者をオキューリアが聖者だとおだてて来たからだろう。

しかしアーシェは聖女の名を否定した。

それは、自分が王女にふさわしいかと悩み、己の至らなさを噛みしめた 彼女ならではの答えだった。

アーシェの気持ちは、このとき、はっきりと決まった。

・・・繭を砕く事こそ、ダルマスカ国民の意に添う事!!

「・・・・ダルマスカは長い歴史の間、一度も『黄昏の破片』を使わなかった。苦しくとも石に頼らないと決めた人

たちの国だった。 私が取り戻したかったのは、そういうダルマスカだった」

アーシェは契約の剣を手から放した。

「・・・石に頼るのは裏切りと同じ」

そう言って、側に来たヴァンに向かってはっきりと言った。

「天陽の繭」を砕くわ!破魔石を捨てる!!」

「力がいらん、というのか。では、国を滅ぼされた屈辱はどうなる。 死んでいった者達の恨みはどうなる!」

「違う」

ガブラスの挑発に、ヴァンは冷静に答えた。 ガブラスは驚いてヴァンを見つめた。

「何も変わらないんだ。兄さんの恨みなんか晴れない。 兄さんはもう・・・・いないんだ」

「力があっても過去は変わらない。だから、もう」

アーシェはそう言って、大切に身につけて来た暁の断片を、惜しみなく、床に転がした。

ガブラスが、くっ、と声をもらした。

「だが、力なき者に未来はない。何者も守れない」

「ならば俺が守ろう」

バッシュがガブラスの前に進み出た。 ガブラスの憎しみがさらに燃えた。

「守るだと?貴様が?ランディスもダルマスカも、なにひとつ守りきれず、生き恥をさらして来た貴様が!!」

ガブラスはそう言って、剣を両手に構え、バッシュににじり寄った。

「いい加減に学んだらどうだ?守るべきものほど、守れずに失うとな!」

ガブラスが、バッシュに斬りつけた。

 

ガブラスは、とうてい、兄バッシュには敵わなかった。

ジャッジ・マスターとして、長い間、帝国に支えて来たと言うのに、 すでに将軍の地位を失っているバッシュに破

れた事に ガブラスはまだ素直になれずに言った。

「バッシュ・・・貴様も復讐の義務から逃げるのか!」

「やめんか、見苦しい!」

そんなガブラスの背後から、声が聞こえて来た。

バルフレアの顔色が変わった。

いつの間にそこにいたのか、シドは、床に落ちていた暁の断片を拾い ため息をつき、ガブラスに歩み寄った。

「貴様には失望した、わからんか?え?! 王女に剣を向けたとき、己は何を裏切ったかわからんか」

シドの言葉に、初めてガブラスは動揺を見せた。

「貴様はラーサー殿の信頼を裏切った。剣にも盾にもならん奴だ」

ガブラスはハッとなった。

「卿にかけたい。卿を信じる」

皇帝宮でラーサーが自分に向けた純粋な信頼を思いだした。

ガブラスは、復讐する気持ちが消え失せようとしたアーシェに苛立を感じていた。

なぜなら、自分が過去を捨てきれず、自分の姿をアーシェに投影したからだ。

アーシェの復讐心を煽りたかった。 過去にとらわれている自分を肯定するために。

その我欲のために彼は自らに芽生えかけていたラーサーへの忠誠心をすっかり失ってしまっていた。

同時にガブラスは、グラミスからヴェインに寝返り、かろうじて得たラーサーの「剣」の役目、

皇帝やドレイスから託されたラーサーの「盾」の役目も果たせなかったのだ。

それを断じるシドの言葉は、ガブラスを絶望の縁に立たせたのであった。

「ラーサー殿の護衛を解く。どこへなりとも消えてしまえ」

ガブラスはわなわなと震えだした。 絶望的な言葉を言うシドが許せなかった。

彼は、剣を振り上げ、シドに襲いかかった。

「よせ!」

バッシュが悲痛の声を上げた。弟の命の危険を感じたからだ。

そのとき、シドを守るようにヴェーネスが現れ、ガブラスの体が地面に叩き付けられた。

シドの傍らに現れたヴェーネスを見つめ、バルフレアが複雑な表情で言った。

「そいつがとりついてたんだな・・・」

「何を言う。我が同志だ。オキューリアは人間を飼いならす餌として力を授ける。 その誘惑をよくぞ拒んだ」

シドはそう言って、アーシェを見つめた。

「奴らの石に背を向けて初めて、人間は歴史を動かす自由を勝ち取るのだ」

「・・・・破魔石欲しさに、ダルマスカの自由を奪っておいて!もう破魔石は渡さない。ここで繭を砕く!」

アーシェはバルフレアの複雑な心境がわかっていた。

でも、彼女は、人造破魔石を作るために多くの民を犠牲にしたシドを許せなかった。

「おお、砕こうではないか。だからこそ封印を解いてもらいたかったのだ。

だがな、オキューリアの剣は使わんぞ。 繭が蓄えたミストが失われてしまうのでな」

シドはそう言って、暁の断片とヴェーネスの力で天陽の繭のミストを解放させた。

計り知れない、膨大なミストが辺りにほとばしった。

それを確認したシドは、高笑いをはじめた。

「破魔石よ!天陽の繭よ!今こそすべてのミストを吐き出せィ!

そして天地に満ちたミストを、バハムートを喰らうのだ!!」

ミストが強風をおこしていた。ヴァンたちは辛うじて持ちこたえた。

「見ろ!この光はのろしだ!神を気取るオキューリアの意思をはねのけ、 歴史を取り戻す人間の雄叫びだ!」

「それで人造破魔石かよ。オキューリアの石を猿真似して、あんたが次の神様か!」

父親に幻滅し、あざけるようにバルフレアが言った。

「神を踏み台にして何が悪い?わしを失望させた上、逃げて逃げて逃げ切れず、今さら舞い戻りおって!

来い、ファムラン!わしの石を思い知れ」

シドは召喚獣を従え、バルフレアに襲いかかって来た。

 

フランがかつて言ったように、シドの体には人造破魔石が埋め込まれていた。

人造破魔石は、その移植を受けた者に無尽蔵の力を与えるわけではなく、その者の生命力を瞬時に戦う力へと変換さ

せるものであった。

今まで、埋め込んだ破魔石を完全にコントロールして来たシドだが、ヴァンたちから受けた攻撃と、老いに生命力が

消耗を始めていた。

シドは突然、床にくずおれた。

バルフレアは、父の傍らに駆けつけようとした。

しかし、父の前にヴェーネスが現れ、シドを守ろうとしてバルフレアを拒んだ。

そんなヴェーネスにシドは、息絶え絶えに言った。

「かまわん、ヴェーネス。ここまでだ。 ・・・・この6年間、実に楽しんだ」

「私こそ感謝している」

ヴェーネスはそう言い残し、シドの結界を解いた。

顔を青ざめて、バルフレアが駆け寄った。

シドの体からミストが溢れ、この世から姿を消してしまうのか、体が透明になっていった。

バルフレアはいたたまれなくなって、目を反らそうとした。

「・・・情けない顔をしおって。どうせ逃げるなら、逃げ切ってもみせんか。馬鹿者めが」

シドは、完全にバルフレアの父親の顔に戻っていた。

バルフレアが手を伸ばそうとすると、その体は、完全になくなってしまった。

バルフレアが悲しむ間もなく、大量のミストに耐えられなくなったフランが倒れた。

「フラン!?」

バルフレアはフランに駆け寄った。

「・・・ミストが燃える・・・・。繭の・・・・鼓動・・・・。弾ける!」

バルフレアはフランを大切そうに抱き起こした。

そんなバルフレアの頬を、唇を、フランは指でなぞった。

「繭が裂ける・・・。できるだけ遠くに・・・逃げるのよ」

「おいフラン・・・・」

バルフレアは、彼の頬の感触を確かめるようになぞるフランの手を握った。

「逃げ切ってみせて・・・・」

フランは、バルフレアの悲しみを感じていた。父を失ったバルフレアの悲しみを。

「最速の空賊、バルフレア・・・・でしょう?」

バルフレアも、フランが何を言いたいのか理解が出来た。

シドも、フランも、バルフレアらしく生きろと、励ましの言葉を言いたかったのだ。

シドは、父親として、最後まで息子を心配していた。そして、理解もしていた。

自分が自由を求めて生きる事しか出来ない、ということを。

バルフレアは、フランの手を力強く握り直した。

「振り落とされるなよ」

そうして一行をシュトラールへ導こうとした。

しかし・・・・

天陽の繭のミストはいまや、嵐のように渦巻いていた。

この放出を止めなければ、彼らはここから脱出できないどころか、リヴァイアサン、否、あのとき以上の爆発に巻

き込まれ、命を落としてしまう。

「アーシェ、剣だ!繭を止めよう!」

ヴァンとアーシェは力を合わせ、契約の剣を構えて繭に近づこうとした。

しかし、ミストの勢いに押されて前に進めなかった。

そのとき、レダスのたくましい背中がアーシェの視界を遮った。

「さっさと逃げな。臨海を超えて、複合崩壊が始まっている。ふざけた規模だ。 あの時の何千倍だか・・・・」

そう言って、レダスは目の前で壊滅していったナブディスの最期を思いだし、

アーシェの手から契約の剣を奪い取った。

「・・・ナブディスに、償う!」

「おい・・・・」

ヴァンが止めようとするも、ミストに押されて止める事が出来なかった。

レダスはもう振り返らず、持っている己の力すべてを使い、繭に飛びかかった。

「レダス、無理だ!」

悲鳴のようなヴァンの声が響き渡った。

「ジャッジ・マスターを・・・・甘く見るな!」

レダスは渾身の力で、繭に覇王の剣を突き立てた。

もう、助ける事は出来なかった。

繭の裂け目から、膨大なミストが溢れ出し、レダスの体を包みこみ・・・

ヴァンは、もう、レダスの体がどこにあるのかの確認できなかった。

無念の思いに、ヴァンは目を伏せた。

 

シュトラールは、かろうじて大灯台を脱出した。

「レダス・・・」

跡形もなく吹き飛んだ塔の頂上を見つめ、ヴァンはレダスの犠牲を胸に刻み込んでいた。

 

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