あまい誘惑

夢見の賢者

 

エルトの里の里長、フランの姉ヨーテから入手したレンテの涙の導きにより、アーシェ一行は、

ゴルモア大森林から雪深いパラミナ大渓谷に抜けた。

砂漠に生きて来たヴァンにとって、こんなに雪が降っている景色を見るのは初めてだった。

しばらく道を進むと、貧しい身なりをしたヒュムが疲れ果てた様子で座り込んでいる姿が目につくようなった。

ラーサーは、立ち止まってその様子を見つめていた。

「・・・・どこかの侵略国家のせいで、ああいう難民が増えているのさ」

どこかの侵略国・・・・バルフレアはアルケイディスの事を遠回しにする言い方をして、ラーサーに嫌味を言った。

しかし、ラーサーにもわかっていた。

各小国へのアルケイディスの侵略は、亡命者を増やし、亡命した人々を難民にさせてしまっている。 行き着く場所

を失った彼らは、ああやって満足に着るものも買えず、こんな寒い地方の山中でやむなく暮らしているのだ。

「・・・これ以上増やさないために、友好を訴えて大戦を防ぐんです。父は必ず平和を選びます」

「必ず?」

とってつけたようなありきたりのことを言うラーサーに、バルフレアはすぐに言葉を返し

「たいした自信だな。父親だろうが、結局他人だろ」

そう言って、冷たく背中を向けた。

バルフレアの言葉にラーサーは言葉を返せなかった。 ヴァンは、そんなバルフレアの後ろ姿を見届けると、

「あんまり気にすんなよ」

と、ラーサーの肩を叩いた。

 

パラミナ大渓谷をしばらく歩くと、徐々に難民の姿が増え、やがて神都ブルオミシェイスに到着した。

ブルオミシェイスにはさらに多くの難民がいた。

小さな子供を抱え寒さに震えるもの、親を亡くし悲しみに暮れる子供・・・・

難民の姿は様々だったが、少なくとも笑っている者はどこにもなかった。

重苦しい雰囲気の中をさらに進むと、やがて大僧正アナスタシスのいる神殿が見えて来た。

神殿の門番をしているキルティア教長老が、アナスタシスがアーシェ達が来るのを待っていた、と声をかけて来た。

キルティア教長老に導かれて入った神殿の奥にある光明の間に、人影があった。

その、ただならぬ雰囲気にアーシェの足取りも重くなった。

光明の間に辿り着き、一行の目に入って来た大僧正アナスタシスは、瞳を閉じ、静かに立っていた。

彼らが近づいても、全く目を開かない。

ヴァンは、隣にいたパンネロに

「・・・寝てないか?」

と思わず尋ねた。 その時、ヴァンの心の中に、静かな声が訴えかけて来た。

「なに、眠っているようなものよ」

ヴァンはびっくりしてアナスタシスを見つめた。

相変わらず目を閉じたまま。口は開かないのに、その声だけがヴァンに話しかけて来る。 アナスタシスは、相手の

精神を通じて会話してくるようだ。

「・・・夢をみておる。夢、幻と現世は表裏の一重を成すもの故に・・・。夢は、『まこと』を映す鏡よ」

「アナスタシス猊下・・・・私は・・・」

アーシェの心にもアナスタシスの声は届いていた。 アーシェは思いあまって、声に出してアナスタシスを呼んだ。

「語らずともよい。ラミナスの娘アーシェ。そなたの夢をみておった。 『暁の断片』を手にするそなたこそ、ダル

マスカ王統を継ぐ者。王国の再興を願うそなたの夢、私にも伝わっておる」

アーシェは、語る前から全てを知られていた事に驚いて、まだ目を閉じたままのアナスタシスを見つめた。

「それでは大僧正猊下。アーシェ殿下の王位継承は・・・」

「・・・そいつは、あきらめてもらえませんかねぇ」

ラーサーが本題に入ろうとしたそのとき、後ろの方から何者かが近づいて来た。

一行は驚いて、声のした方を振り返った。

いろいろなことで精神的に参っていたラーサーだったが、男の姿を確認した途端、その表情がパッと明るくなった。

近づいて来たその男は、長身で、胸元の大きく開いたシャツを着て、いささか気障っぽい。バルフレアも気障な服装

が好きだったが、それ以上に、22歳のバルフレアがまだ身につけてない、大人の男の色気を彷彿させるような雰囲

気を醸し出していた。

男は、陽気にラーサーに近づいて来た。

「よう、皇帝候補殿。呼び出されてやったぞ」

ラーサーは友好の意を示そうと、男に握手を求めた。しかし男は12歳のラーサーを子供扱いして、自分よりも遥か

に背の低い彼の頭を「いい子、いい子」と撫で回した。

機嫌の良かったラーサーも、子供扱いされた事に憤慨して、激しくその手を払いのけ、 あくまでも威厳を失わず、

見知らぬ男の登場に怪訝そうな顔をするアーシェに向かって説明をした。

「・・・彼に会わせたかったんですよ。この人、これでもロザリア帝国を治める、マルガラス家の方なんです」

「山ほどいるうちの1人ですがね。私だけじゃ戦争を止められないんで、ラーサーに協力を仰いだわけで」

男はそう言って、うやうやしく礼をして、アーシェの前にひざまずいた。

「アルシド・マルガラスと申します」

マルガラス家はロザリア帝国の現皇帝の家柄だが、同家の出身者は大勢おり、誰でも皇帝候補であるわけではなかっ

た。 アルシドは、帝位からは遠いものの、彼の背後にある緻密な情報網はアルケイディアにとっても脅威だった。

「アーシェ殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」

アルシドは目の前で立ち尽くすアーシェの手をとって、その手のひらにくちづけをし、彼女の顔をまじまじと見つめ

た。

「・・・・ダルマスカの砂漠には、美しい花が咲くものですな」

アーシェは返す言葉もなく、アルシドに見つめられ続けているのが耐えられなくなって、思わず彼から離れた。

女性としての美しさを評価されたアーシェの表情の変化を、興味深そうにバルフレアが眺めていた。

「アルケイディアにはラーサー、ロザリアにはアルシド。彼らは『いくさ』の夢を見ておらぬ。

両帝国が手を取り合えば 新しいイヴァリースがひらかれよう」

再びアナスタシスが一行の心に話しかけて来た。

アルシドは皮肉っぽい笑みを浮かべ、即答をした。

「・・・・それこそ夢物語ですな。現実には戦争が起こりかけている」

「私を招いたのも、大戦を防ぐためと聞いておりましたが?」

アーシェは、アルシドがなぜアーシェを呼び寄せておいて「王位継承」に「待った」をかけたのか理解できずいた。

「・・・私が王位を継いで、ダルマスカ王国の復活を宣言し、

帝国との友好を訴えて、解放軍を思いとどまらせる・・・・と。 なのに今になって、あきらめろとは?」

「姫のお言葉があれば解放軍は動かず、わがロザリアも宣戦布告の大名義分を失う・・・・

そういう狙いでしたがね、流れは変わっちまいまして」

アルシドは機嫌の悪いアーシェをなだめるような口調で続けた。

「2年前、お亡くなりあそばれたはずのあなたが、実は生きていたなんて話が出ると、かえって事態が悪化する状況

でしてね」

「私に、力がないからですか?」

アーシェはさらに機嫌を悪くして、むっとした表情でアルシドを責めた。

「いやいや。あなたのせいじゃありませんよ」

「ではなぜ!?アーシェさんから友好の呼びかけがあれば・・・・僕が皇帝陛下を説得します。

陛下が平和的解決を決断すれば・・・」

アルシドは、そう言うラーサーを見て、少し答えに戸惑っているようだった。

しかし、今は、アーシェにもラーサーにも現実に直面してもらわねばならない。 アルシドは、ラーサーの目をまっ

すぐに見て、覚悟を決めて、真実を言った。

「・・・・グラミス皇帝は亡くなった。暗殺されたんだ」

「父上が!?」

こんな重要な場面で、アルシドが嘘をいう根拠など何もなかった。

ラーサーは父親の急死を受け止める事が出来ず、ただ、どんなふうに自分の意見を示していいかわからず まるで、

魂を失ったようにその場に呆然と立ち尽くした。

しかしアルシドは、なおもラーサーとアーシェに、彼なりの客観的な視点で話を続けた。

「仮に姫が平和的解決を訴えたとしましょう。グラミス皇帝なら戦争回避を優先したでしょうが・・・ 相手はヴェ

イン・ソリドール。姿を明かした姫を、偽物だとか断定して、解放軍を挑発するんじゃないですかね。

ヴェインは戦争を望んでいる。都合が悪い事に、あいつは軍事的天才だ」

アルシドの言葉を聞き終えると、アナスタシスがアーシェの心に接触して来た。

「私も夢に告げられた。そなたが姿を現せば戦乱を招き・・・・ヴェインが歴史に名を遺す」

アルシドは、アナスタシスの言葉に「うん、うん」と頷き

「帝国軍は全軍あげて、開戦準備を進めてましてね。うちの情報では、ヴェイン直属の西方総軍が臨戦態勢に移行し

新設の第12艦隊が進発。それと本国の第1艦隊が、第8艦隊の穴埋めに駆り出されます」

そう言って、アーシェを見つめた。

「・・・・つまり、どえらい大軍だ」

「そして、切り札は破魔石」

アーシェは表情のない声で言った。 アルシドが深く頷いた。

「大僧正猊下。王位継承の件はしばし忘れます。力を持たない私が王女となっても、何も守れません。

より大きな力を身につけてから、あらためて」

アーシェの訴えに、アナスタシスは目を閉じたままだった。そして、アーシェと同じく、表情のない声で彼女の心に

話しかけて来た。

「そなたが夢見るのは、破魔石か?」

「破魔石以上の力です」

アーシェの答えに、アナスタシスの瞳がカッと見開かれた。

一行は、一瞬、驚愕する。

さらにアナスタシスは、今まで一度も動かした事のなかった唇を開き 初めて肉声で彼らに話しかけた。

「力を持って力に挑むか。まことヒュムの子らしい言葉よ」

「私は覇王の末裔です」

アーシェはきっぱりと言い放った。

彼女は、かつて世界を治めた覇王の末裔である自分が、その血を受け継ぎ再び大きな力で人々を治める事が出来る、

と言いたかった。 しかしアナスタシスにとっては、単に力に飢えたアーシェが、覇王の末裔である事を言い訳にし

て、力を求めているようにしか聞こえなかった。

アナスタシスは、そんなアーシェの熱気を収めるような、静かな口調で続けた。

「・・・ならばレイスウォールが遺した、もうひとつの力を求めなさい」

「そんなものがあるのですか?!」

熱気を収められるどころか、さらに顔を上気させてアーシェが言った。

「パラミナ大渓谷を超え、ミリアム遺跡を訪ねなさい。レイスウォールが当時の大僧正に委ねた力が眠っておる。

破魔石を断つ『覇王の剣』・・・・」

アーシェは、アナスタシスの言葉を聞くなり、慌てて出発しようとした。

しかしアナスタシスは、なおもアーシェに言葉をかけた。

「おのが覇業を支えた破魔石を砕く力を・・・・なぜ、子孫ではなく他者に託したのか。 剣を手にして悟らなけれ

ば、王国再興の夢は、夢のままよ」

偉大な覇王でさえ、破魔石を使う者が力に飢えて暴走するのを怖れ、それを止める手段を残し、しかも王家の外部の

者に託した。

アナスタシスはアーシェに、その意味について熟考を求めていた。

今のアーシェは力に飢え、周囲をかえり見ていない。

真の覇王の末裔として行動するなら、覇王の真意を悟り、己を振り返れ。

そういったアナスタシスのメッセージは、このときのアーシェには伝わっていなかった。

 

一行は、ミリアム遺跡に向かうアーシェの後に続いた。

父の急死に衝撃を受け、呆然と立ち尽くすラーサーを残して。

 

その姿を見届けたアナスタシスは再び眠るように目を閉じた。

「・・・私の夢も、やがて覚めるか・・・・」

心の底でアナスタシスは呟いた。